韓国略誌(1902年)井原儀識
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この沿岸から遙か東方に鬱陵島(于山島即ち松島あり)、島中、松、杉の巨材を産し、近海には鯨、海鼠の漁利あり。
鬱陵島=于山島説を採ってますね。
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この沿岸から遙か東方に鬱陵島(于山島即ち松島あり)、島中、松、杉の巨材を産し、近海には鯨、海鼠の漁利あり。
鬱陵島=于山島説を採ってますね。
アムロ☆ジンの鬱鬱雑記 韓国略誌(1902年)井原儀識
24ページ この沿岸から遙か東方に鬱陵島(于山島即ち松島あり)、島中、松、杉の巨材を産し、近海には鯨、海鼠の漁利あり。 鬱陵島=于山島説を採ってますね。 前回、伊藤統監が高宗の要求を殆ど飲んだ事例を紹介しましたが、今回は、高宗のとんでもない背信行為を伊藤統監が握りつぶした事例。例によって獄長日記から。
----------------------------------------------------------------------------- http://ameblo.jp/dreamtale/theme1-10000375602.html 伊藤統監が高宗に言ったせりふです。 陛下は現に、金叔旼(日+文)なるものを御使用あらせられたるが如し。 同人を我が憲兵に於て拘留審問せる際、同人の有する書類に「島夷敵臣伊藤長谷川」云々とあり。 是れ、陛下の語なりやと詰問せしに、同人は然りと答へたる由。 此れ、果して日韓両国の交際を敦睦親密ならしむる所以なりや。 然りと雖、自分は陛下の御為を虞り、日本政府に報告することは、之れを見合はせたり。 何となれば、之を日本政府に報告せば、事重大に至るの虞あればなり。 又自分は、宮中と暴徒との関係を熟知し、現に暴徒に対して宮中より資金を供給せられたるの証拠を有す。 且つ、宮中と暴徒と暗に連絡を保てることも、宮中と上海浦潮地方に在る韓人の間に密使密電の往来することも、亦能く之を知れり。 而して、今日迄之を放任したるは、全く寛に失せるものにして、既に紊乱其の極に逹し、尚ほ此の儘に打棄て置かんが、自分は職責を執るの責に任ぜらるべからず。 輙ち、此の場合に於て、陛下を御助け申上ぐるの誠意を以て、宮中取締の方法を講ぜんと欲す。 希くは、陛下能く自分の誠意の存する所を御諒解あらんことを請ふと奏上し、更に進て宮中に卜筮巫女等の出入頻繁なることは、決して文明国に在るまじき失態なれば、先づ以て斯かる輩を遠ざけられざるべからざることを陳奏せり。 ----------------------------------------------------------------------------- 高宗は伊藤統監を「島夷敵臣」呼ばわりしていたのですね。今の韓国人と何にも変わらないwwww のみならず、暴徒に対して宮中より資金を供給していたのだから、日本政府が知ったら大変なことになります。(と言って伊藤が脅したのでしょう。) これだけのことをしても、高宗は何の咎めもありませんでした。ハーグ密使事件では流石に退位させられましたが、このときは高宗個人は不問です。 で、竹島について抗議したとして何か問題が生じたでしょうか。おそらく伊藤統監は「よく調査してみましょう」くらいの反応で、竹島が韓国領という結論が出れば返還に応じたでしょう。 統監時代の日韓関係が、日本が一方的に韓国に命令を下すような関係では無いのじゃないのということで、前回伊藤統監が李法相の要求を飲んだという記事を紹介しました。
今度は伊藤統監が高宗の要求を飲んだ事例。 またまた獄長日記からパクリ。 ---------------------------------------------------------------------------- http://ameblo.jp/dreamtale/theme1-10000375602.html 顧れば昨年十一月、日韓協約の調印了せり。 同月二十九日、自分の出発帰国せんとするに際し、陛下は宮内府大臣李載克氏を自分の許に遣はされ、五箇條の御希望を伝示せられたり。 其の第一は、皇室の経費増加に関することにして、臨時経常を合して一となし、之を全く国庫の財政と区分して、王室に一任せよとのことなり。 此の件は、自分に於ても直ちに御同意申上げ、目賀田顧問にも之を諮り、竟に五十万円の増額を為すことにせり。 第二は、皇室財産に関することにして、此の点に付ては、他日愼重なる調査を為したる上ならでは、直ちに自分の意見を言上し難き旨を覆奏せり。 第三は、皇室所有財産に対しては、財政顧問をして干渉せしめざること。 第四は、皇室の財政は、宮内府自から之を整理し、一般財政の整理とを区別すること。 第五は、宮中の肅清を為し、文明国の模範に拠り、将来の弊害を防がんとすること等なりし。 此の五箇案に対し、第二條を除くの外、自分は悉く御同意申上げ、且其の言責を重んじて之を実行せしめたり。 ----------------------------------------------------------------------------- 5箇条の要求のうち、4箇条を飲んでますね。伊藤は一方的に高宗に命令を下すような関係ではなかったわけです。 日本が竹島を編入したときに韓国から抗議が無かったことについて、韓国人は「当時、日本に抗議することは不可能だった。」などと言い訳するわけですが、本当にそうだったのでしょうか。
韓国が日本側に何らかの要求をしたり、不服申し立てをするということは不可能だったのでしょうか。 (抗議という刺々しい言葉を使わなくても、要は竹島が韓国領だということを日本側に伝えれば良いだけの話。) で、獄長日記に面白い資料があったので無断引用。 ---------------------------------------------------------------------------- http://dreamtale.ameblo.jp/dreamtale/theme6-10000125843.html また、これに続けて、監獄制度の改良の話となった。 このやりとりは少し面白いので、現代語訳しつつ引用してみる。 李夏栄法部大臣 「監獄制度改善の必要は明白なり」とし、その後希望として「もとより韓国の法律、裁判組織は不完全であるが、従来、軍律を犯したる韓国人は、全て日本官憲で組織される軍法会議で審判処罰される。自分等は、此等及罪人は、宣言された刑に相当する罪を犯したために処罰されていると信じ、少しも不審に思ってはいないが、無智なる多数の人民中には、軍隊の不審を思う者も無いわけではない。従って今度は、右審判委員会に韓国官憲を立会せれば、韓国人は大に安堵するでしょう。」 伊藤博文 「貴説は妥当である。」 李法相 「従来の経験によれば、犯罪者中には死刑に処せられた者も少なくない。しかし、其の親族等は、如何なる罪によってこのような重刑に処せられたのか知り得ない為、大いに不安の念を抱いている。軍律発布の当時、自分は外務大臣の職にあったために、重刑執行の報告に接すると共に、幾多の人民から請願を受けた。請願の要旨は、韓国官憲が軍法会議に立ち会わないのは遺憾であるとの事であったため、その当時、この問題を提出したが、軍の同意を得ることは出来なかった。今回幸にしてこれを実行出来れば、韓国人にとっては大幸である。」 伊藤 「貴説を穏当と認め、軍に照会しよう。審判委員は、まさしく軍司令部又は師団司令部に設置されるべきである。これに韓国の官憲、例えば観察使のような者を立ち会わせることに定めれば良いだろう。」 李法相 「自分は、決して権利として主張しているのではなく、韓国人の感情を融和する為に、得策と信じるのみです。」(何故かトーンダウン(笑)) 伊藤 「若し実行することが出来れば、貴説のようにするのは得策である。軍と協議すべし。」 李法相 「死刑に相当する罪人の審判だけでもよいです。」(何故か更にトーンダウン(笑)) 伊藤 「改正軍令では死刑を削除した。軍において起稿した原案には、死刑を残してあった。その理由は、従来の経験では、法令にはなるべく重刑を記載しなければ、韓国人は之を軽視する傾向があるため、今後は実際死刑には処さなくとも、法文中には存置するのが得策であるというものであった。しかしながら、自分(伊藤)は、死刑は苛酷過ぎると認めたため、本案中からこれを削除させた。従って、重刑に処すべき軍人の審判にのみ韓国官憲を立会わせる事とし、 「審判委員の審判委員会には、韓国の官憲一名にこれに列席聴聞させる」というような意味の規定を設けることを、軍に交渉すべきである。」 これに対して各大臣が「その通りである。そのように行われる事を切望する。」と述べた。 最後に再び李法相が「もし韓国官憲が列席しても、決して発言権を得る事を望み、又は判決を飜そうとするような事を為してはなすべきではない。もしこれを試みても翻すことが出来ないのは、疑いが無い。」という言葉を以て、この場面は終了する。 ---------------------------------------------------------------------------- このやりとり、1906年(明治39年)3月13日の第一回『韓国施政改善ニ関スル協議会』での出来事なんだけど、伊藤はもっともな要求だということであっさりOKを出していますね。 「独島は韓国領なのだが、帰属について調査して欲しい」とでも言えば、何も問題無さそうですよね。 AMLというバカサヨの巣窟サイトがありますが、そこに半月城氏が次のような投稿をしています。
http://list.jca.apc.org/public/aml/2008-July/019996.html 3.朝鮮王朝の竹島=独島領有意識 朝鮮では古くから朝鮮の東海に二島あることが知られていました。二島とは欝陵島と于山島ですが、欝陵島は時には武陵島、蔚陵島など様々な名前で呼ばれました。両島は15世紀の官撰地理誌である『世宗実録』地理志にこう記されました。 于山と武陵の二島が県の真東の海中にある。お互いに遠くなく、風日が清明であれば望見することができる。新羅の時に于山国と称した。一説に欝陵島と云う。その地の大きさは百里という。 欝陵島近辺には無数の岩や島がありますが、天候が清明の時にだけお互いに望見できる島は竹島=独島しかありません。したがって、この文章における于山島は竹島=独島とみることができますが、その位置や大きさなどは記載されませんでした。 さらに、当時の欝陵島には倭寇などを避けるために空島政策がしかれ、渡海が禁じられていました。そのため、于山島の認識はあいまいで、いわば書物の上だけの観念的な存在でした。 ところが、1696年に一大転機が訪れました。韓国で英雄とされる漁民の安龍福が鳥取藩へやって来ました。かれは、3年前に欝陵島で日本の大谷家の船により日本へ拉致されたことがありましたが、今度はみずから来日しました。 その目的は鳥取藩への訴訟であり、朝鮮の官吏を装って、船に「朝欝両島 監税将臣 安同知騎」と書いた旗を立ててやって来ました。旗の意味を日本では「朝鮮の欝陵、子山両島の監税将、臣、安同知が乗務」と解されました。子山は于山島であり、同知は職名です。 この時の安龍福は訴訟のために「朝鮮八道の図」まで用意しました。その地図で欝陵島と子山島が朝鮮の江原道に属するとされました。しかも欝陵島は日本でいう竹島、子山島は松島であり、両島は朝鮮領であると彼は主張しました。 この事件は、鳥取藩のみならず、幕府や対馬藩に衝撃を与えました。紆余曲折の末、対馬藩は当初の主張とは逆に日本人の渡海禁止を朝鮮へ伝達して「竹島一件」交渉を終結させました。 この安龍福の第2次渡日事件により、朝鮮の官撰史書である『東国文献備考』や『萬機要覧』などに「欝陵、于山は皆于山国の地、于山はすなわち倭がいうところの松島なり」と記されるようになり、于山島に対する領有意識が確立しました。 しかし、離島に対する空島政策がその後も継続されたため、于山島の存在は次第にあやふやになり、1900年の勅令41号では于山島の名が消え、竹島=独島は石島とされました。その詳細は文末の参考書に譲ることにします。 長々書いてますが、検討に値するのは最後の3行だけです。 すなわち、 ア 勅令41号でいう石島が竹島かどうか。 イ 石島=竹島である場合、朝鮮の領土編入行為は日本の1905年の領土編入行為に対抗出来るのか。 の2点のみ。 |
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